この「人」の「あと」には・・・-未公開-

物になるべき時には、ちゃんと動物になれない人間は不潔であります

今日は・・・MISHIMA/YUKIO

96歳の誕生日である

島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威〈ひらおか きみたけ〉、1925年〈大正14年〉1月14日 – 1970年〈昭和45年〉11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者である。血液型はA型、身長は163cm。

を必ず傷つける結果になるやさしさの支出には慎重になった

後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、日本国外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。

 

しい狂気と言うものもあるのだ

 

出典ウィキペディア(Wikipedia)

るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる

論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論はすぐ偽善と嘘に堕する

間は、強くてきたないということは許せないんだよ、だいたいね


日の一冊

「葉隠入門」三島由紀夫

れわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死呼ぶことはできないのである。

 

「葉隠入門」より 三島由紀夫

「死」というもの自体に、誇り高き死を・・・

そんな三島由紀夫の「死」に対する「何」かが・・・

熱情と情熱が・・・

「死」への「介錯」となるのだろう・・・

※介錯(かいしゃく)は、切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。

葉隠入門(はがくれにゅうもん)は、三島由紀夫の評論・随筆。副題は「武士道は生きてゐる」。三島が戦中から折に触れて感銘して読んでいた『葉隠』の魅力をガイドした評論である。

島自身の人生論、道徳観、死生観、文学的思想的自伝としても、種々な読み方のできる書でもある。

 

出典ウィキペディア(Wikipedia)


『葉隠』

三島が少年期から20年以上もの間、手元に置き、ことあるごとに読み返していた愛読書

に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りなる武士道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。『葉隠』より 山本常朝
しらな人間は、自分で「死」を選びとれると蒙昧し、また、「正しい目的のための死」があると思い込んでいるが、変幻流転する歴史においては、その「正しさ」も時の流れで逆転しうる性質のものである。『葉隠』は、そのような煩瑣な」判断からの「死」の選択や正否に言及しているのではない。『葉隠』「死」は、人が死に直面する時の「人間の精神の最高の緊張の姿」として描き出しているのである。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
蒙昧(もうまい)暗いこと。転じて、知識が不十分で道理にくらいこと。また、そのさま。
煩瑣(はんさ)こまごまとしてわずらわしいこと。また、そのさま。

『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

 

 

本 常朝(やまもと つねとも、万治2年6月11日(1659年7月30日) – 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。

「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸

 

毎に懈怠なく死して置くべし

※懈怠(けたい)なまけること おこたること

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)


う生くべきか

あらゆる「生の哲学」を学んだ

三島由紀夫の応え・・・には・・・

島由紀夫の「あと」には・・・

真っ赤な「死」が滲んでる

消えない「あと」・・・

それがただの「血」に見えるのか・・・

(血の)「丸」に見えるのか・・・

それは・・・日々・・・人それぞれだ

士道といふは、死ぬ事と見付けたり

彼はこの世界では「そう」だった・・・

う一つの目 う一つの心 う一つの命

「あなたが欲しいもの三つ?」と問われ・・・

三島由紀夫はそう答えた

こかで生きている「ミシマユキオ」聞いてみたいことがある・・・会ってみたい


島由紀夫は・・・「即身武士」なのか?-未公開- | NCQ|日本ことど量子もつれ (cotodo.jp)


はようございます2021年1月14日(木曜日)
それでは第二百八十一話の「はじまり」です。

2021114ですね・・・

1月14日とは?年始から14日目(閏年でも14日目)

今年もあと・・・352

続く

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に少し」の 勇気 

そんな「正しい狂気

それではまた明日。

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