Article記事
「先生は何を殴ったのか?」ー未公開ー
Forgiveness is the fragrance that the violet sheds on the heel that has crushed it.
許しとは、踏みにじられたスミレの花が、自分を踏みにじったかかとに放つ香りである
出典 マーク・トウェイン
児童養護施設で、子どもを殴った先生が捕まった。「暴力」とは「悪」である。
ただ其処にあった「事実」・・・現場にあった「目」と「心」は「何」を知っているのだろう?
どれだけ「真摯」に「殴られた」と向き合ったのだろう・・・愚直なまでに「暴力」とは「悪」である。
先生は「何」を殴ったのか?その「何」かを、どれだけの人が知っているのだろう・・・
その「何」かにどれだけの大人が真っ直ぐ向き合っただろう・・・
「暴力」とは「悪」である? そう。だ。 許されない。
ただ、子どもを殴った先生の、その手の中に「何」があったのか・・・私たちは、その「何」かも知らなければならない。
もし「何」かが「悪」で
「何」かが「愛」ならば・・・
きっと、子どもはいつか「傷く(きづく)」大切な思いに 他人が本気で「何」かと向き合ってくれたことに。
いつか赦しは「訪れる」だから、その拳の中にあった「何」かを棄てないでほしい・・・虐待のない世界へ・・・僕たちは、拳を上げた「何か」に 声 を上げる 勇気 を持たなければない。
「暴力」という過ち。の中にある「何」かを殺さないために。「暴力」という「悪」と愛をもって戦う人がいる。彼らは ヒカリ の下にはいない。
あなたは「何」を見て「何」を感じた?
子どもたちは「愚直」にその「一部始終」に傷いてる。(気付いてる)
そして・・・あなたの「声」を聴いている。目にはみえない大切な「何か」に心を澄ませて・・・
沈黙で応えるあなたは、人としての「時間」を棄てている、たった数秒だけど・・・
世の中はキレイゴトじゃない じゃない。
あなたがそうなだけ・・・
心の傷は消えない・・・だから、大切な「何」かでもう一度「心」に傷をつけるために。どうすればいいのだろう?
今日、声を上げれなくてもいい。明日、勇気を出せれなくてもいい・・・
ただ「今」傷くコトはできる。
先生は「何」を殴ったのか?
先生は「何」を傷つけたのか?
心で感じてほしい。
そして其処にいたみんなで共有してほしい。其処が「闘う」コトの 居場所 になるのだから。
誰かの為に傷く(キヅク)勇気を
誰かを傷つける勇気を
傷ついた子どもと向き合う人たちを心から尊敬しています。
現場にいる人(学校や施設の先生たち)→目の前の子どもを10cmずつ楽にする人。現在の子どもに向き合う人
研究者(大学教授など)→世界の子ども全体を0.1mmずつ楽にする人。未来の子どもに向き合う人
出典 思想家ななさま(ななちゃん)
何を殴ったのか?その「応え」をあなたは叫べますか?
その「何か」を知りたいですか?
おはようございます。2020年4月18日(土曜日)
それでは第八話の「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
最後に・・・書いている理由、それは「人」です。
そう思える「人」がいなければ、僕は生きる「今」にたどり着いていません。
僕にとっての生きる意味・・・それは「あなた」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の勇気を
そんな「言」を。
それじゃまた明日。