逃走する「悲鳴」-未公開-

悲鳴が聞こえますか?

「誰か」の根かぎり精かぎり叫ぶ声・・・

血の通った「言葉」が・・・

原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 – 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き日本近代詩の父と称される。

 

ウィキペディア(Wikipedia)

太郎が書いた手紙にはこう記されていた。

「僕は初めて芸術というもののほんとの意味を知ったような気がしました。
それは一般に世間の人が考えて居るようなものではなく、それよりもずっと恐るべきものです。
生存欲の本能から「助けてくれ」と絶叫する被殺害者の声のようなものです。
その悲鳴が第三者に聞かれた時、その人間の生命が救われるのです。
そして芸術の価値はその絶叫、真実の度合いの強弱によって定まるものと考えます」

北原白秋への手紙

詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。

詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである


「絶望の逃走」萩原朔太郎
れらは絶望の逃走人だ
おれらは監獄やぶりだ
あの陰鬱な柵をやぶつて
いちどに街路へ突進したとき
そこらは叛逆の血みどろで
看守は木つ葉のやうにふるへてゐた。
あれからずつと
おれらは逃走してやつて來たのだ
あの遠い極光地方で 寒ざらしの空の下を
みんなは栗鼠のやうに這ひ廻つた
いつもおれたちの行くところでは
暗愁の、曇天の、吠えつきたい天氣があつた。
逃走の道のほとりで
おれらはさまざまの自然をみた
曠野や、海や、湖水や、山脈や、都會や、部落や、工場や、兵營や、病院や、銅山や
おれらは逃走し
どこでも不景氣な自然をみた
どこでもいまいましいめに出あつた。
おれらは逃走する
どうせやけくその監獄やぶりだ
規則はおれらを捕縛するだらう
おれらは正直な無頼漢で
神樣だつて信じはしない、何だつて信ずるものか
良心だつてその通り
おれらは絶望の逃走人だ。
逃走する
逃走する
あの荒涼とした地方から
都會から
工場から
生活から
宿命からでも逃走する
さうだ! 宿命からの逃走だ。
日はすでに暮れようとし
非常線は張られてしまつた
おれらは非力の叛逆人で
厭世の、猥弱の、虚無の冒涜を知つてるばかりだ。
ああ逃げ道はどこにもない
おれらは絶望の逃走人だ

恩地孝四郎が描いた朔太郎の肖像

地孝四郎とは?

 

創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている。前衛的な表現を用いて、日本において版画というジャンルを芸術として認知させるに至った功績は高く評価されている

 

ウィキペディア(Wikipedia)

っすぐ逃げればいい・・・

そこに「ない」なら今すぐ「走れ」

方位なんてどっちでもいい「自分」がある方向に・・・

一生懸命「逃げる」其れで良い。


はようございます2021年5月11日(火曜日)
それでは第398話「はじまり」です。

2021511ですね・・・

5月11日とは?年始から131日目(閏年では132日目)

今年もあと・・・235

続く

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に少し」の 勇気 

そんな「逃走

それではまた明日

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