76年前の今日、44歳で・・・-未公開-

んだ・・・パイロットが描いた

「星の王子さま」とカタワレの「星の王子さま」を紹介します。まずは・・・

「血は立ったまま眠っている」「毛皮のマリー」寺山修司の

篇の戯曲から「星の王子さま」を紹介します。

戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品

戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

「血は立ったまま眠っている」

「毛皮のマリー」

「アダムとイヴ、私の犯罪学」

「さらば、映画よ」

※この4編はまた紹介します。

「星の王子さま」


日の一冊

「血は立ったまま眠っている」「毛皮のマリー」寺山修司


島由紀夫も絶賛したとされる

「星の王子さま」

1968年・・・寺山修司は32歳で「星の王子さま」を書きました。

※この年の10月21日 – 国際反戦デーで新宿駅を学生が占拠(「新宿解放区」)

※この年の12月10日 – 東京都府中市で三億円強奪事件発生。

百万の星のどれかに咲いているたった一輪の花をながめるだけでしあわせだ とサン・テグジュペリの「星の王子さま」は言っている。だが「見えないものを見る」という哲学が、「見えるものを見ない」ことによって幸福論の緒口をつなごうとしているのだとしたら、私たちは「見てしまった」多くの歴史と、どのようにかかわらなければならないだろうか?

 

大人になった「星の王子さま」は、何になると思う?  と問いかけるたびに、女学生たちはいやな顔をした。 「星の王子さまは大人になんかならずに、永遠に王子さまのままでいる」 と、彼女たちは思い込みたいだろう。

 

が「星の王子さま」の大人になってしまった無残な姿はあちこちに見出される。 浅草の銭湯の番台や、自衛隊宿舎や、大学の共闘会議や、ゲイバーの片隅に。 そしてこうした「星の王子さま」を「捨ててきた人」たち、「見えるものを見てしまった」人たちが、もっとも深く現実原則と心的な力との葛藤に悩みながら歴史を変えてゆく力になってゆくのである。

 

はこの戯曲で復讐をしたいと思った「星の王子さま」にではなく、「星の王子さま」を愛読した私自身の少年時代にである。 私は、今やバオバブの木に棲む一人である。そして、夜になると出て行って花を食べるヒツジに化ける。

 

出典「星の王子さま」寺山修司


日のもう一冊

「星の王子さま」サン=テグジュペリ


1943年・4月・第二次世界大戦中にサン・テグジュペリは43歳で「星の王子さま」を書きました。

※この年の8月16日 – 第二次世界大戦: 東京都が上野動物園に猛獣の処分を指令。翌日から薬殺を開始。

きっかけは「童話を描かないか」という出版社からの依頼でした。

人公の「ぼく(パイロット)」がサハラ砂漠に墜落したところから物語は始まります。

そこで(サハラ砂漠)出会うのです。とある星からやってきた宇宙人「星の王子さま」と。

そして「ぼく」と「星の王子さま」の大冒険がはじまる・・・

切なものは、目に見えない (Le plus important est invisible)」を初めとした本作の言葉は、生命・とは何かといった、人生の重要な問題に答える指針として広く知られている。

 

It is only with the heart that one can see rightly,
what is essential is invisible to the eye

 

サン・テグジュペリ

 

1900年6月29日、フランスの南東部の都市リヨンの伯爵の子として生まれる。

サン=テグジュペリはイエズス会の学校を経て、スイスの学校で文学を学ぶ。

その後、兵役に志願して陸軍飛行連隊に所属。異例の経歴で軍用機操縦士となる。

 

退役後に民間航空界に入り、26歳のときに作家としてデビュー。自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表した。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをする。後に敵となるドイツ空軍にも彼の信奉者がおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。

 

1935年、フランス-ベトナム間最短時間飛行記録に挑戦するも機体トラブルでサハラ砂漠に不時着、一時は絶望視されるも3日後に徒歩でカイロに生還した(この体験が後の『星の王子さま』に反映されている)

 

1939年、『人間の土地』がベストセラーとなり代表作として高い評価を受けた。サン=テグジュペリは第二次世界大戦に召集され、飛行教官を務める。彼は前線への配属を希望し、周囲の反対を押し切る形で転属。戦闘隊や爆撃隊は希望せず、偵察隊に配属された。

 

1940年6月、ドイツ軍のフランス侵攻でフランスは敗北。サン=テグジュペリはアメリカへ亡命する。サン=テグジュペリは亡命先のニューヨークから志願して北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に偵察飛行隊に着任。その後、部隊はコルシカ島へ進出。

 

1944年7月31日、フランス内陸部の写真偵察のためサン=テグジュペリは単機で出撃。地中海上空で行方不明となり、44年の生涯を閉じる。(「星の王子さま」を生んだ、その翌年である・・・)

 

※映画「紅の豚」で、1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿は、サン=テグジュペリの長年の愛読者である。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

II

二次世界大戦中、サン・テクジュペリは周囲の反対を押し切り、パイロットとして前線での飛行を希望した。爆撃機などではなく偵察飛行隊に配属され。ドイツとの戦争では7回出撃した。その後、ナチス・ドイツによるフランス侵攻(1940年5月10日-6月21日)がドイツの圧倒的な勝利で終わったことを受けてニューヨークへ亡命。亡命後も自由フランス空軍へ志願している・・・

そんな中「星の王子さま」を書いたのである。忘れかけていた純真な心を・・・

そして撃墜され死んだ・・・彼が愛した空で・・・

人として大切な「何か」への応えを遺して・・・

山修司は、サン・テクジュぺリを愛していた。その生き様の「言(ことば)」・・・

logos( λόγος)を・・・

だから書いたのだと思う。

サン・テクジュペリの「星の王子さま」の半分を。

2つで1つになった「星の王子さま」そんな気がする。僕はそう思う・・・

小さい頃に出逢った「星の王子さま」と

大人になった僕が出会った「星の王子さま」を結んだ糸が、僕には「赤色」に見えた。

ただ其れだけのお話・・・今日はそんな話がしたかった・・・

国で2人は僕たちのことを「見て」笑っていると思う。きっと・・・

「何も見ることのできない」

「見えないものだけを見る」

そんな・・・僕たちの「見る」を見ながら・・・

Iove

does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.

 

愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。

 

出典「星の王子さま」サン・テクジュペリ

76年前の今日、44歳で死んだ・・・

サン・テクジュペリと「今」僕は同い年だ。


おはようございます。2020年7月31日(金曜日)
それでは第百十四話「はじまり」です。

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな【見る】

それじゃあまた明日。

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