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「1984年」と「動物農場」の間-未公開-
科学ジャーナリストのラティフ・ナセルが言った。「動物農場」と「1984年」の間みたいだね・・・と
※「世界の繋がりを科学する」の第一話「観察」での言葉だ。
※人間同士、または人間と世界や宇宙は驚くほど複雑につながっている。その中でも特に興味深い関係について、科学ジャーナリストのラティフ・ナセルが掘り下げる。
本日の一冊
「1984年」ジョージ・オーウェル
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
1949年にジョージ・オーウェル「ビッグ・ブラザー」による徹底的な監視体制で国民をコントロールする全体主義に覆われた社会を舞台に描いています。※1949年11月3日 – 湯川秀樹、ノーベル物理学賞を受賞。日本人初のノーベル賞受賞者。
第3次世界大戦後、3つの国に分裂し、それぞれに核武装した世界で・・・
オーウェルは35年先の未来を描き、村上春樹は25年前の過去を描いた。
※「1Q84」は、1984年時の日本を舞台にした作品・・・ビッグ・ブラザーからリトルピープルへ、オーウェルの「1984年」と比べて読むのも面白いですね!
ビッグ・ブラザー(偉大な兄弟とも、英語: Big Brother)とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する架空の人物である。
作中の全体主義国家「オセアニア」に、1984年時点で君臨する独裁者。オセアニアでは、社会を支配するエリート(党内局員)が権力を維持するために国民(党外局員およびプロレ)に対して独裁権力を振るっているが、「ビッグ・ブラザー」はエリートたちの頂点にいるとされる。
オセアニアの住民はテレスクリーンをはじめとする手段により、当局の完全な監視下に置かれている。住民はいたるところに貼られたポスターに描かれている「ビッグ・ブラザー」の姿とその下のスローガン「ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている(Big Brother is watching you)」により、絶えずこのことを確認させられている。
Big Brother
watching you
ポスターやテレスクリーンでは、「ビッグ・ブラザー」は、黒い髪に黒い口ひげを貯えた人物として描かれている。これは、ソビエト連邦共産党の書記長でありソビエト連邦の最高権力者であったヨシフ・スターリンをモデルにしているといわれている。
二分間憎悪でテレスクリーンに流される映像や音響は党員たちの心に反射的な恐怖と憤怒を沸き起こらせる。「油の切れた巨大な機械がきしむような身の毛もよだつ摩擦音」[1]が爆発的に轟くのと同時に映像が始まり、党の裏切り者で人民最大の敵エマニュエル・ゴールドスタインの姿が現れ、党員たちは非難の唸り声をあげ、やがて30秒もたたないうちに怒号をあげるようになる。映像の中のゴールドスタインは誇張されたような調子で党の独裁や「ビッグ・ブラザー」への非難、集会や言論の自由の称賛、戦争の無条件講和などをまくしたてる。その後ろではオセアニアと交戦中の超大国(ユーラシアであることもあれば、イースタシアであることもある)の兵士たちが行進を続ける映像が流れており、売国奴ゴールドスタインの背後に敵国があることを強調する。
これらを見せられて熱狂的に憎悪をつのらせた党員が飛び上がったりテレスクリーンに物を投げつけるのも珍しいことではない。普段はおとなしい主人公ウィンストンも含め全員が、番組や周囲の空気に完全に同化し、恍惚感や破壊欲に貫かれ、絶叫しながらゴールドスタインに憎悪の矛先を向けるようになる。番組の最後のほうではゴールドスタインの声が羊の鳴き声になり、その顔が羊に変わり、さらに軽機関銃を掃射して突進する兵士へと変わる。ところがその瞬間、兵士の顔は黒い髪と黒い口髭の「ビッグ・ブラザー」の落ち着きに満ちた顔へと変わり、直前まで恐怖していた人々は一斉に安堵のため息を漏らす。「ビッグ・ブラザー」の顔が消え、「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」のスローガンが現れても党員たちの感動は収まらず、陶酔したように「ビッグ・ブラザー」(Big Brother)の略である「B-B! B-B!」の低い合唱を続ける。(中略)
二分間憎悪(にふんかんぞうお、Two Minutes Hate)とは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する架空の行事。作中の専制国家オセアニアの党員たちは毎日仕事を中断してホールに集まり、大きなテレスクリーンの前で、党と人民の敵(特にエマニュエル・ゴールドスタインとその一味ら)が登場する映像を見せられ、画面上の敵の姿や敵の思想に対してありったけの憎悪を見せなければならない。この「日課」が二分間憎悪である。
オーウェルが描くような「儀式」は、この小説が書かれた時期の直前まで行われていた第二次世界大戦のプロパガンダ映画上映における敵への軽蔑や憎悪、あるいは独裁国家での指導者への個人崇拝などさまざまなものが反映している。「二分間憎悪」という用語もオーウェルの発明によるものでなく第一次世界大戦時の表現に由来している。当時のイギリスの風刺家たちは、ドイツで行われているイギリス国家に対する憎悪やすべてのイギリス的なものに対する憎悪のキャンペーンに対し、プロイセンの家庭ではみんなが食卓を囲んで「日課の憎悪」[2]をしているのだろうと想像している。さらに、双方の砲兵が短時間の砲撃を日課のように行って敵の作業を妨害することも「二分間の憎悪」(two minutes’ hate)と呼ばれていた。
『1984年』の出版以来、「思想警察」「ビッグ・ブラザー」は、過度に国民を詮索し、管理を強める政府首脳や、監視を強めようとする政府の政策を揶揄する際に使われるようになった。
※1984年に発売されたアップルコンピュータのMacintoshの発売予告テレビCM『1984 (広告)』は、小説『1984年』に想を得て、当時同社製のApple IIIを市場で凌駕していたIBM PCのメーカーであり、「Big Blue」のニックネームを持つIBMを「ビッグ・ブラザー」として描いた。
ニュースピーク(Newspeak、新語法)はジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1949年出版)に描かれた架空の言語。
中の全体主義体制国家が実在の英語をもとにつくった新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして、支配を盤石なものにすることである。
テレスクリーン(Telescreen)は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する装置。
テレビジョンと監視カメラを兼ねたような機能を持ち、「真理省」(プロパガンダをつかさどる省庁)から発信される映像や音声を再生する一方、テレスクリーンの前にいる人々の映像や音声をどこかへ送信している。その特性のため、スイッチを切ることはできない。これは、作中の全体主義国家オセアニアを支配する党のプロパガンダの道具であると同時に、党が絶えず国民を監視するために使うための道具でもあり、オセアニア政府と党を転覆するための秘密の集まりを行う機会をつぶすものである。エリート階層(党内局員)と中間階層(党外局員)はテレスクリーンを家に持ち、プロレ(労働者階級)の中にもテレスクリーンを持つ者はいる。
登場人物の一人で党内局員のオブライエンは、テレスクリーンを消す特権を持っていると主人公で党外局員のウィンストン・スミスに語り、実際に消して見せた。しかしこれは嘘である可能性もある。物語後半でウィンストンとジュリアが「愛情省」へ連行された時に、テレスクリーンを消していたはずの時間に交わした会話が再生されたことから、スクリーンから映像と音声が消えた後も盗聴装置として機能していた可能性もある。
テレスクリーンを通じた監視には、「思想警察」(シンクポル)があたっている。しかし無数にあるとみられるテレスクリーンを一度にどれだけどのように監視しているのか、また監視にあたっての正確な基準は何か、は物語でははっきり明らかにはされない。毎朝放送している体操番組に合わせてウィンストンが体操を行う場面で、テレスクリーンの中のインストラクターがウィンストンを名指しで叱咤していることから、テレビ電話かコンピュータネットワークのようなものと考えることもできる。テレスクリーンの感度は鋭く、テレスクリーンの前の人の鼓動さえ聞かれてしまうほどとされる。
思想警察(しそうけいさつ、英語: Thought Police、ニュースピークでは「シンクポル」)とは、ジョージ・オーウェルが執筆した小説『1984年』の作中におけるオセアニアの秘密警察であり、思想的犯罪や「思想犯」を捜査し処罰する存在である。思想警察は心理学的手法と恒常的な監視(例としてテレスコープ)を用いて、党とビッグブラザーの権力下にある現状に、たとえ思考だけでも抗うオセアニア市民を探し出し、監視し、逮捕する。
「思想警察」というジョージ・オーウェルの発想は、社会において優勢な考え方の批判において彼の「不快な事実に向き合う力」から生まれこれはしばしば彼を他の人々や「卑劣な小さな正統性」との論争に陥れた 。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
思考というモノは言葉(言語)によって受胎し、トツキトオカを超え・・・
そして行動というコトが生まれる。
そのための大きな役回りを言葉(言語)が担っている。
その言葉(言語)自体を弱体化させる・・・言葉を見つけられなくさせる・・・という手段によって、「ビッグブラザー」は僕たちから行動を産む、思考の「はじまり(種)」を奪い取る・・・
SNSは人間の一部になり、インフラになる・・・
思考の起点は書き換えられ・・・僕は「僕」を少しずつ手放す・・・
そして自主的に僕たちは個人情報を垂れ流し合い・・・
僕たち自身で「監視」の仕組みをつくっている・・・
「スイッチを切る」ことはできない・・・
「スイッチを切る」スイッチを押すだけ・・・
全てを監視され、僕たちは支配される。
誰かの描いた物語の中で・・・
弱者ではない「何か」の為に・・・
誰かの筋書きの「自由」の中で僕たちは「自由」に生きるこコトになる。
誰かのつくる辞書の「幸せ」を「幸せ」として・・・
「幸せ」になる・・・
誰かの意図で・・・僕たちは結ばれてしまうのか?
そのイトを僕たちは「赤色」と認識するのか?・・・
イト
「意図」と「糸」どっちが好きか・・・
大真面目に「応え」たい。
そして・・・
コロナがもたらす「全世界監視社会化」・・・
自らを律するのではなく他者の行動を律する・・・
「自らー」の意味は書き換えられた・・・
誰かに要請され、誰かに解除される・・・
成れの果ての「自粛警察」・・・
自・・・は?どこに行ったのか・・・
こんな世界だからこそ
自調
する「感覚」・・・を。
もう疲れた・・・一縷の望みもなく「終わる」小説です・・・
でも・・・そこから「はじまる」のです。
僕たちの思考は・・・きっと。
それでは第百二十八話「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな【調律】を
それではまた明日。