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「したこととしなかったこと」-未公開-
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
本日の一冊
「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元
『法句経』(ほっくぎょう)、または『ダンマパダ』(巴: Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズム)で伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法(巴: dhamma)の言葉(巴: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する。
『自説経』(じせつきょう、巴: Udāna、ウダーナ)とは、パーリ仏典経蔵小部の第3経。
文字通り、釈迦が問答形式ではなく感興に催されて自発的に発した言葉を集めたもの。
サンスクリット経典として継承されている『ウダーナヴァルガ』(Udānavarga)は、本経と『法句経』を足したもの。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
ダンマパダとウダーナヴァルガという釈迦の言葉を集めた経典
「真理のことば(ダンマパダ)」と「感興のことば(ウダーナヴァルガ)」を訳出した本
2行か3行の短い詩句の中に、人生への「応え」となりえる言葉がたくさん出てきます。
423の詩句より成っており、全体は26章に分れています。
本日の言葉もその中の一つ。
自分自身の日常の中にある「したこと」「しなかったこと」にどれだけ向き合えているか。
禅と善を前に「しなかった」こと。
って「心の自殺」行為なのかもしれない・・・
「しなかったこと」は + にはならない。
「しなかったこと」は 0 ではない。
「しなかったこと」は - だ。
「しなかったこと」とは・・・
自分自身の「心」の中にある大切な「何か」を殺すことだ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分の「したこと」と・・・「しなかったこと」だけを見よ。
2000年以上の時を経て読む釈尊の言葉・・・
ダンマパダ(法句経)などの初期仏教経典は「仏教」という枠組みを超えて、人としての大切な「応え」に繋がる言葉がたくさん出て参ります。
今日で8月は終わります。
秋の足音はまだまだ聴こえませんが・・・
山は上から色づくように、僕たちも上から色づく「読書の秋」を。
仏陀(ブッダ)とは
サンスクリット語で「目覚めた人・悟った人」という意味。
釈迦(シャカ)とは
釈迦族の「ゴーダマ・シッダルダ」という名の「人」
釈尊(シャクソン)とは
釈迦(シャカ)の尊称。
おはようございます。2020年8月31日(月曜日)
それでは第百四十五話の「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな「したこと」を
それではまた明日。