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「日本人とは何か」ー未公開ー
民俗学とは?
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年〈明治8年〉7月31日 – 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章(没時陞叙)。
「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者であり、多数の著作は今日まで重版され続けている。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
多様化する民俗学研究の中で柳田国男の研究が全て認められている訳ではない・・・
ただ、柳田国男が日本民俗学の1つのはじまりの「種」であり、今日の日本民俗学の土壌を築き上げてきた。
「なぜに農民は貧なりや」
そんな「なぜ?」に向き合い・・・
古来日本に伝わる伝承から民俗学を通して社会問題をいかに解決するかを歴史的に考えた。
「目的においては、歴史家と同じ、ただ、方法だけが少し新しいのである。」と。
柳田国男の民俗学とは?民俗伝承学・・・
多角的な視点で歴史を「見る」大切さと、それぞれの地域に遺る「日本人」への深層・・・
「日本人とは何か」という「問い」の広がりを報せたものであったと言える。
本日の一冊
「遠野物語」柳田國男
『遠野物語』(とおのものがたり)
柳田国男が明治43年(1910年)に発表した。
岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集
手から手へ・・・記憶から記憶へ。
変遷の動態の中にある「応え」・・・
日本の様々な文化の継承・・・そして伝承
「人」から「人」へ渡される記憶。
「人」から「人」へ渡される感覚。
なにも介さず・・・
「人」から「人」へのみ紡がれる「文化」
記憶に遺る
記録にはない「名もなき人」・・・こそ
遺すべき「日本人とは?」という「応え」ではないだろうか・・・
柳田國男
伝承される「民俗学」
↓
Weblio辞書 日本の民俗学者の一覧 より
柳田國男は、ムラに定住し、伝承されてきた習俗や儀礼などの民間伝承・・・記録した。
民間伝承・古くから民間に伝承されてきた風習・口碑・伝説・俗信・芸能などの総称。
祖霊信仰・・・自然の中で生活の礎を共有して生きる無名の人々を「見」続けた。
そして研究し続け「日本人は?」の問いに応え続けた・・・
それは「今」も伝承されている・・・
日本の地域に存在する様々な民間伝承・・・
日本の様々な地域・・・異なる民間伝承を広く記録・収集し、共通するものを関連づけることで日本文化への問いに「応え」ようとすることこそが「柳田國男の民俗学」・・・
「うずもれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学」
僕は、柳田國男のこの言葉が大好きだ。
3年6か月という短い時間だが「島おこし」の為に、定住した人口400人足らずの島・・・
そこで感じた全てが「日本とは?」「日本人とは?」の問いに「応え」てくれた。
「日本人とは?」「本当の豊かさとは?」「美しい日本とは?」・・・
そんな問いへの「応え」・・・
その感覚・・・
それは「人」が「人」と「今」と「今」を交歓する。そんな現場でしか手にできない。
うずもれて一生終わるであろう人の知識や感覚を伝承する・・・
古き良き日本文化の伝承
僕たちはそんな新しき「地域創生」を知らければならない。
うずもれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学。
柳田 國男
うずもれて一生終わるであろう人の知識や感覚を伝承するのが「 」
大原大太郎
おはようございます。2020年9月2日(水曜日)
それでは第百四十七話の「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな「伝承」を
それではまた明日。