人が次の段階に進む道への「しるし」ー未公開ー

師の家に生まれる。

大学では神学と哲学を専攻

信仰を放棄

24歳から10年間バーゼル大学の教授。

34歳からは哲学者として活躍。

34歳から44歳までの10年間に多くの作品を書く。

44歳で精神に異常をきたし・・・

発狂・・・

そして1900年に55歳で亡くなりました。

ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)

 

ーチェは宗教的・哲学的観念の滅亡を宣言した。言い換えれば彼は、近代的な「個人」に基づいて世界観を脱神話化した。

 

ニーチェの批判は、医療科学・自然科学や生物学から大きく影響を受けたと考えられている。ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。

 

神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである。

 

ここでニーチェは、「超人」とは地上的・身体的な人間であると述べている。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘だとしている。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)


日の一冊

「悦ばしき知識」

ニーチェ 信太 正三(訳)

「諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか、~白昼に提灯をつけながら、市場へ駆けてきて、ひっきりなしに『おれは神を探している! おれは神を探している!』と叫んだ人間のことを。

 

市場には折しも、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。『神さまが行方知れずになったというのか?』と或る者は言った。

 

『神さまが子供のように迷子になったのか?』と他の者は言った。『それとも神さまは隠れん坊したのか? 神さまはおれたちが怖くなったのか? 神さまは船で出かけたのか? 移住と決め込んだのか?』

 

かれらはやがてがやがやわめき立て嘲笑した。狂気の人間は彼らの中にとびこみ、孔のあくほどひとりひとりを睨みつけた。『神がどこへ行ったかって?』と彼は叫んだ。

 

『おれがお前たちにいってやる! おれたちが神を殺したのだ~お前たちとおれがだ! おれたちは皆神の殺害者なのだ!』

 

「悦(よろこ)ばしき知識」

ニーチェ 信太 正三(訳) より


「神は死んだ」

ニーチェ

基準を「神」から「自分」に転換したかったのである。


ーチェは、仏教に共感していました。オルデンベルグ著の釈尊伝「仏陀」を読んでいたそうで・・・仏教の輪廻観に影響をうけて書いた「永劫回帰」は有名ですね。

仏陀は言う、「汝の施与者におもねるな!」この金言をキリスト教の教会の中でも倣い誦するがよかろう。たちどころにそれはあらゆるキリスト教的なものの空気を浄化する。

と、ニーチェは言います。

(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

してくれた人とは、目を合わせてはならず、お礼を言ってはならないのです。
そう・・・「感謝」も「執着」なのです。

ず第一に私が否定するのは、これまで最高と看做されてきたタイプの人間、善人、善意の人、善行の人である。第二に私が否定するのは、道徳の一種にすぎないのに道徳そのものとして通用して支配権を獲得するに至ったあのデカタンス道徳、手っ取り早くいえばキリスト教道徳である。 

 

ニーチェ

目にならず自分の道徳観を・・・

僕たちは一人一人違う・・・

様々な「道徳」がある。

「正義」も・・・

違うコト・・・

「同じ」ではない・・・

それは「悪」ではない。

「自然」なのである。

根を張っている「土」は同じだ。

から「感謝」という「執着」は棄てない。

パンも半分あげたいし・・・

「仏」も「神」も信じてる。

し「善人」で在りたいと願う。

が人を暴き

人が人を超える・・・

人間は動物から超人になっていく一本の綱であるとニーチェは言った。

人が次の段階に進む道しるべをニーチェは「しるし」た。

は・・・

人とは?の問いには答えれないけど・・・

日々の中で「人として」に「応え」ていきたい。

僕が僕である「間」に・・・

そして「ニーチェ」が言うように

必然を愛したい。

間の偉大さを言い表す決まった言い方は、運命愛である。
すなわち、何事も現にそれがあるのとは別様で欲しいとは思わぬこと。

未来に向かっても、過去に向かっても、そして永劫にわたっても絶対にそう欲しないこと。

必然を単に耐え忍ぶだけではないのだ。いわんやそれを隠蔽することではさらさらない。

あらゆる理想主義は、必然から逃げている嘘いつわりに他ならぬ。そうではなく、必然を愛すること…

 

ニーチェ

の世界を見て・・・

聞いて・・・感じる。

自分で考えよう

自分で見つけ出そう。

そうして・・・

この世界で新しい価値観を生み出そう

「あなた」らしく。

「あなた感」を。

アナタの世界を。


おはようございます。2020年9月12日(土曜日)
それでは第百五十七話の「はじまり」です。

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に少し」の 勇気 

そんな「しるし」
それではまた明日。

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