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かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ-未公開-
大和魂
今日は・・・
安政6年10月27日(1859年)30歳で死んだ「人」
天保元年(1830年)生まれなので
190歳ですね。
吉田 松陰(よしだ しょういん)
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。
一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。
私塾「松下村塾」で
のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
・高杉晋作
・久坂玄瑞
・吉田稔麿
・入江杉蔵
・野村靖
・久保清太郎
・前原一誠
・伊藤博文
松下村塾(しょうかそんじゅく)
江戸時代末期(幕末)に、長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾である。
吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
十月二十五日 二十一回猛士
※私の身はここ武蔵の地で朽ち果てよう・・・そうしてこの「魂」を遺そう。
どうか私がそうしたように、自分自身の正しさを行いなさい。
10月25日 21回猛士
吉田松陰の辞世の句で、松下村塾の塾生に送ったとされる言葉
「死」の2日前のお話です。
二十一回猛子とは?
神さまが夢に出てきてお札を渡され・・・
そこに書かれていたのが「二十一回猛子」
文に曰く、二十一回猛子と、忽ち覚(さ)む。
因て思ふに杉は二十一の象あり。
吉田の字も亦二十一回の象あり。
我が名は寅、寅は虎に属す。
虎の特は猛なり。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
松陰の旧姓は「杉」
この字を分解すると左側は「十と八」 右は「三」
足して合わせると「二十一」
「吉田」を分解・・・吉が「十と一」と「口」田が「十」と「口」
数字を合わせると「二十一」ふたつの口を合わせ「回」
21と回
松陰は「二十一」という数字に宿命を感じます。
「猛士」は「寅次郎」の寅を「虎」と読み「虎」の特性「猛き」からきています。
「猛きこと」と「二十一回」・・・
そこで松陰は悟ります。21回の・・・
猛きこと を成すのだと・・・
※猛事とは(たけきこととは)→現在できる最大の事は。精一杯の事としては。
それから吉田松陰は「二十一回猛子」という「号」を使い始めます。
松陰は3回の「猛きこと」を成していました。
❶「知識」広げようと日本各地へ遊学をします。あるとき友との約束を守るために、藩の許可を得る前に出発してしまい・・・脱藩となる。
❷ペリーが黒船で来航した際、浦賀へ視察に行き海外の文化に触れ、強い危機感を抱きます。脱藩で・・・武士としての身分をはく奪されているのに・・・松陰はペリーの黒船来航で見たこと、知ったこととを・・・これからのこと・・・未来の日本の為にと、文書にして藩主へ上申しました。※武士以外の上申はご法度にもかかわらず・・・
❸海外視察への強い願望を抱いた松陰は、ペリーが再び来航した際に、密航を計画し実行・・・しかしアメリカ側に拒否され、自首・・・長州藩に強制送還され、入獄。
その後、出獄を許された松陰は、松下村塾を継ぎ、多くの門下生たちに教えを授けました。が・・・
残り18回の「猛きこと」を成す前に・・・
生涯を終えることになります。
安政5年(1858年)大老井伊直弼(いいなおすけ)は幕府に反対する者達を弾圧・・・安政の大獄です・・・幕府に反対していた松陰は自ら老中・間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺する計画を(間部詮勝は井伊直弼の手先として条約調印の反対派を弾圧を行っていた)正直に話してしまい・・・罪を問われて処刑されてしまいます。
聞かれてもないことを正直に話してしまったのです。
なぜ?それは分かりません…
「学は人たる所以を学ぶなり」
人が人たる理由を学ぶこと。学びは知識を得るためでもなく、己を磨くためであり、己の役に立つためでも、役目を果たすためでもなく、 世の中の為に己がすべきことを知るため
会ったことないけど・・・
激しく・・・優しく・・・ある時は塾生を驚かせ、ある時は塾生を大いに笑わせてたと書いてありました・・・
高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿・入江杉蔵・野村靖・久保清太郎・前原一誠・伊藤博文 ・・・をですか・・・私塾だから近所の人に教えてたんですよね・・・
やばいな・・・
「生きる」と「人」を・・・生き抜いた人だったんだろうな・・・
日本の為に・・・
真っ直ぐ「己の信じた道」を一縷の迷いもなく貫き通した・・・
強く激しく実行する「正しさ」・・・手段を択ばない・・・
その姿は動かない人間には「狂」に見えるのかもしれない・・・
し・・・そう見えなければ至らないのかもしれない。
松陰の「尊皇攘夷」とは・・・天皇を中心に日本という「国」と「人」が一つにまとまり、欧米諸国の侵略から日本を守ろう。そうであったはず・・・
事実と証明の間にある「行間」は「平面」じゃないから言葉ではたどり着けない・・・
分からないことだらけだけど・・・
「(諸君)狂いたまえ」をどう思うかって?
正しい狂気といふものがあるのだ。
出典 三島由紀夫「小説家の休暇」より
僕もそう思う。
靖国神社(正式表記:靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社である。明治天皇の意向によって建てられた招魂社に起源を発し、国家のために殉難した人の霊(英霊)246万6千余柱を祀る。全国にある護国神社と深い関わりがある。
靖
安らかにする。
世の中を安泰にする。
※招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社。
1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した。櫻山招魂場は、その後の四境戦争、戊辰戦争の戦没者を始め、吉田松陰や久坂玄瑞といった倒幕と維新のために尽力した志士を合祀している。
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
国を靖んずる。そのために積み重ねられてきた「愛しき命」・・・
その1人1人の「命」の上に、僕たちは今「生きている」・・・
この「日本」という場所で。
おはようございます。2020年10月27日(火曜日)
それでは第二百二話の「はじまり」です。
2020年10月27日ですね・・・
10月27日とは?年始から300日目(閏年では301日目)
年末まであと65日ある。
今年もあと・・・
65日
続く
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな「正しい狂気」を
それではまた明日。