壮絶な人生を歩んできた「人」にしか書けない「言葉」-未公開-

日は・・・

1111ですね・・・

2020年11月11日

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

1821年11月11日 – 1881年2月9日

199歳

ロシアの小説家・思想家の誕生日である。

If there is no God, then I am God.

が存在しないならば私が神である。

 

1846年『貧しき人々』で作家デビュー。

続けて『白夜』『二重人格』を著す。

空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕される。

死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝ニコライ1世からの特赦が与えられて、シベリアに流刑へ減刑となり、オムスクで1854年まで服役。

この時の体験に基づいて後に『死の家の記録』を著す。

『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。

刑期終了後、セミパラチンスクにおいて兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還。

この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表

晩年に、自身の集大成的作品『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。15歳で母親が死に・・・18歳のとき、領地の農民たちの恨みを買い、父親が惨殺されたことがきっかけになったとも云われている。

その数ヵ月後の1881年1月28日、家族に看取られながら亡くなった。妻アンナは「奇妙な人」だと書き記し、周りの人はみんな「普通では考えられないような性格の持ち主」だと・・・

『罪と罰』(つみとばつ 1866年)は、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説で代表作『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『悪霊』『未成年』と並ぶ後期五大長編小説の中で、最初に出された「現代の預言書」とも呼ばれる・・・


日の一冊(上下)

脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが・・・

「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」

「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」

という独自の犯罪理論をもとに

金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し

奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも

殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。

の思いがけぬ殺人に

ラスコーリニコフの罪の意識が増長し、苦悩する。

しかし

ラスコーリニコフよりも惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャ

その家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれ

最後には自首する。

間回復への強烈な願望を訴えた

「ヒューマニズム」が描かれた小説である。

ドストエフスキー  (著), 工藤 精一郎 (翻訳)


し・・・苦悩・・・

「善」のために・・・

殺人を犯してしまった「人」・・・

その「魂」の軌跡・・・そのキセキは「心」に「何」をつくるのか・・・罪を犯した「人」に太陽は昇るのか?

人を殺すというコト・・・

赦し」は存在するのか・・・

壮絶な「魂」の物語を是非。

絶な人生を歩んできた「人」にしか書けない「言葉」があり・・・

込めれる「何か」があるのだろう・・・

それは・・・しるす「言霊」なのかも・・・

己の「命」を削り・・・書いた「言葉」たち・・・

「その」しるした「魂」・・・

20世紀ロシアを代表する大文豪・ドストエフスキーの名作『罪と罰』を是非

フョードル・ドストエフスキー

(ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ画)

Taking a new step, uttering a new word, is what people fear most.

新しい一歩を踏み出すこと、新しい言葉を発することは、人々が最も恐れることである。


きながら

今日は ENVY(エンヴィ)を 聞いていた・・・

「あーライブいきたいなぁー」あー魂に触れたいなぁー

「あーライブをしたいなぁー」あー命を削りたいなぁー

「そんな」思いを馳せていた・・・とある場所に・・・

その時‼

ショートメールが届いた。

、瀬戸大橋を渡っています。大原君を思い出しました!能勢慶子より

年ぶりだろう・・・10年近くかな・・・

7.8年か・・・

めちゃくちゃ嬉しかった!

岡くんも一緒みたいなのだ・・・

が・・・・・・なぜ?

瀬戸大橋で?思い出したのか・・・

そんなことはどうでもいいか・・・

慶子さんは「そんな」をくれる「そんな人」だ。

これに向かっているみたいで「瀬戸大橋」を渡っているのだろう・・・



伊勢雄さんもゲストで・・・

くにいたらいきたかったな・・・

勢 伊勢雄

(のせ いせお 英語名:NOSE Iseo 1947年-)

 

日本の写真家、前衛映像作家、ドキュメンタリー映画監督、音楽・美術評論家(批評)、書籍編集、音楽CDプロデュース、現代美術展企画等。さまざまな表現の交錯する場として1974年に老舗Live House『PEPPER LAND』を設立。岡山市・倉敷市連携文化事業『スペクタル能勢伊勢雄1968-2004』 展(企画:那須孝幸)にて、長年にわたる脱領域的、学際的な活動のすべてがはじめて広く紹介された。2009年より銀塩写真技術の継承を目的とした若手写真家集団「phenomena」(メンバー:岡崎裕子、岡茂毅(彼とは昔々一緒にバンドを組んでたのです・・・「  」という名の・・・)片山貴文、柴田聖子、能勢遊神、藤原奈津江、森美樹、丸山希世実)を設立、主宰。2010年より美学校岡山校(PEPPER LAND内)を開校。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

いたい「人」がいる

帰りたい「場所」がある・・・

どっちも僕にとってかけがえのない・・・

「居場所」なのである。

そして・・・

Taking a new step, uttering a new word・・・

新しい一歩を踏み出すこと

新しい言葉を発すること・・・

が日常なのである。この場所は・・・

そこは・・・

『PEPPER LAND』という名前だ。


はようございます2020年11月11日(水曜日)
それでは第二百十七話の「はじまり」です。

20201111ですね・・・

11月11日とは?年始から315日目(閏年では316日目)

年末まであと50日ある。今年もあと・・・

50

続く

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に少し」の 勇気 

そんな「新しい

それではまた明日。

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