世界という構造に組み込まれた部分は?-未公開-

界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。

 

ニーチェ

M.フーコー曰くの「ローカルで・・・非論理的な知」に通底する地域の自生的ですこぶる曖昧な実践にこそ、文化変容の可能性があるのかもしれない。加納恵子さん(関西大学・社会学部教授)と昨日書いた記事で登場した人です。

シェル・フーコー(フコ)(Michel Foucault・発音例、1926年10月15日 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。

 

『言葉と物』(1966)は当初「構造主義の考古学」の副題がついていたことから、当時流行していた構造主義の書として読まれ、構造主義の旗手とされた。フーコー自身は自分が構造主義者であると思っていたことはなく、むしろ構造主義を厳しく批判したため、のちにポスト構造主義者に分類されるようになる。

 

代表作はその他『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)


日の一冊
として「言葉と物」を紹介したかったのだが・・・

うしても、この本人(フコ)の写真に写る彼が気になって気になって・・・

今日は「その小さなもしかして?」・・・

を書きたいと思う。

Michel Foucault

ューブリック?・・・スタンリー・・・

・・・

フコが影響を受けたニーチェ・・・

ニーチェに影響を受けたキューブリック・・・

人というものを教えてあげよう。人間は、克服されるべき存在なのだ。

 

ニーチェ

ーチェが言う 「超人」 ・・・

・・・

今この「今」を “生きる” を生き抜く人間のこと・・・

この2人も人をはみ出して・・・

人間は、1本の綱だ。動物と超人のあいだに結ばれた綱だ。

 

ニーチェ

1926年10月15日生まれ(フコ)と1928年7月26日生まれ(キュー)・・・

この2人はほぼ同級生だな・・・

タンリー・キューブリック(英語: Stanley Kubrick, 1928年7月26日 – 1999年3月7日)アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、プロデューサーである。
真雑誌「ルック」のカメラマンとして働いたのち、短編ドキュメンタリー映画を自主製作し、長編第1作の「恐怖と欲望」で本格的に映画監督としてデビューした。
1960年代以降はイギリスに活動の場を移し、ハリウッド資本で「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「シャイニング」などを発表した。
業性が重視されるハリウッドの映画監督でありながら、多様なジャンルで芸術性の高い革新的な映画を作り、映画史における最も偉大で影響力のある映画製作者の一人として度々言及されている。
督だけでなく脚本、撮影、編集、製作までも一人でこなす作家的姿勢、独自のリアリズム、ブラックユーモア、ユニークな撮影手法、シャープな映像感覚、大規模な舞台装置、そして刺激的な音楽手法で知られる。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

Stanley Kubrick

の中に、馬鹿げた考えなどというものはない。

(There is nothing such as frivolous ideas with the world.)

と・・・キューブリックは言ってくれる・・・

かつてキューブリックはインタビューで「あなたがこの映画で伝えたかったことは?」と質問された時「それが口で言えるなら、映画で伝えたりしない」と・・・

言葉ではたどり着けない場所がある・・・

One picture is worth a thousand words 

1枚の絵は1,000の言葉に匹敵する・・・

1枚の絵で1,000・・・映像となれば・・・

映画は、天文学的な数字を超えて・・・

になると思いますか?

またそんなお話を・・・

たちは、今「今」を意識することで・・・

どんなときも、自分の歩む道くらいは照らせるはずなのである。

そして誰が為に「今」を意識し始めれば・・・発光しはじめる・・・日本っぽく言えば発酵しはじめる・・・

広大な闇の中であっても、私たちは自ら光を発するべきだ

とキューブリックは「映画」で発光し続けたように・・・

まずは「何か」を「内から外」へ発行してみよう。

から生み出さなければ・・・文字通り(笑)

受胎しトツキトオカを超えなければ・・・

世界という構造に組み込まれるように発明された「人間」は「波打ち際の砂の上に描いた顔のように、消滅するであろう」とフコが叫んでいる。

その横顔を見つめるキューブリック・・・

そんな妄想をしたのである・・・

分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。

の男のなかにはひとりの子供が隠れている。
この子供が遊びたがるのだ。

 

リードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 – 1900年8月25日)は、ドイツ連邦・プロイセン王国出身の哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)
Friedrich Wilhelm Nietzsche

おはようございます。2020年8月7日(金曜日)
それでは第百二十一話「はじまり」です。

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に「少し」の 勇気 
そんな【発行】
それではまた明日。

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