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「動物農場」と「1984年」の間-未公開-
科学ジャーナリストのラティフ・ナセルが言った。「動物農場」と「1984年」の間みたいだね・・・と
※「世界の繋がりを科学する」の第一話「観察」での言葉だ。
※人間同士、または人間と世界や宇宙は驚くほど複雑につながっている。その中でも特に興味深い関係について、科学ジャーナリストのラティフ・ナセルが掘り下げる。
本日の一冊
「動物農場」ジョージ・オーウェル
動物農場(どうぶつのうじょう、原題: Animal Farm)は、1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説。とある農園の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとするが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描く。
スペイン内戦に自ら参加した体験を持つオーウェルが、人間を豚や馬などの動物に見立てることで20世紀前半に台頭した全体主義やスターリン主義への痛烈な批判を寓話的に描いた物語である。
※1945年8月17日・・・終戦記念日「無条件降伏」のご聖断が下った日から2日後・・・この日アメリカ軍の計画によれば「広島」「長崎」の次の原爆投下地は「神戸」であった・・・らしい・・・
この「動物農場」で読むべきは「報道の自由:『動物農場』序文案」である。
“自由を恐れているのはリベラル派なのであり、知性に泥を投げているのは知識人だ。私がこの序文を書いたのも、この事実に注目してもらうためなのだ。”
「動物農場」ジョージ・オーウェル
与えられた世界で「フリをする」人間。
何一つ自分の手で創り出そうとしない。
目を見開こうとも・・・
耳をかっぽじろうともしない・・・
与えられたものに依って・・・誰かの灯りに拠って・・・
掃いて捨てるほどの人間が、農場という「世界」で
ダラダラと動物(人間)のフリをしている。
だが・・・
その「時」は突然やってくる。
何も考えないで「依」って生きてきた事への代償はきっと・・・
大きすぎる。
権力の腐敗、共産主義批判(ソ連批判)がテーマだが、言葉・・・
その行間からは、誰かの「何か」に、依存している私たちへ向けた
「自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えろ・・・」
「自分起点」への帰還を・・・
そんな強いメッセージを感じた。
自らの命を燃やせ
誰かの魂に頼るな
自分自身の魂をさしだして
「燃やせ」
それが・・・
光だ。
せ
よ
それでは第百二十七話「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな【間】を
それではまた明日。