Article記事
前後を切断せよ 満身の力をこめて・・・-未公開-
暑さ寒さも彼岸までと申しますが、暑さもおさまり涼しくなってまいりました。
※彼岸とは?
秋分の日(9月23日頃。その年により変動・春分の日・3月21日頃)その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。
というコトで・・・
本日の一冊
「彼岸過迄」夏目漱石
彼岸過迄(ひがんすぎまで)は、夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載され、同年に春陽堂から刊行された。
「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。『行人』『こゝろ』と続く、後期3部作の第1作である。
この本は、六つの物語(短編小説)からなる長編小説です。
「彼岸過迄」は、後期三部作の一つで、残りの二つは「行人」「こころ」です。
元日から始めて彼岸すぎまでに書き終わる予定・・・で「彼岸過迄」です。
人間の異常なる機関(からくり)が暗い闇夜に運転する有り様を、驚嘆の念を以て眺めていたい
人間とは何か を追求した漱石が・・・
43歳(1910年/明治43年)の時に胃潰瘍で大量吐血・・・生死をさまよいました・・・
そして・・・愛する娘の死。
なぜ生きるのか・・・「生きる意味」・・・
人間観察が好きな漱石が「自身」に「何か」と・・・問うた・・・
そんなときに書いた本です。
僕の頭(ヘッド)は僕の胸(ハート)を抑える為に出来ていた。行動の結果から見て、甚しい悔を遺さない過去を顧みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸(ハート)が熱しかける度に、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、甚しい苦痛である。
(中略)
二つの争いが起る度に、常に頭(ヘッド)の命令に屈従して来た僕は、或時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、或時は僕の胸(ハート)が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活の為の争いでありながら、人知れず、わが命を削る争いだという畏怖の念から解脱する事が出来なかった。
出典「彼岸過迄」より 夏目漱石
僕たちは
頭(ヘッド)と胸(ハート)の闘いの結果に・・・
「自分」を「見て」・・・「自身」を「見失う」
面白いので是非読んでみてください。
感情(胸)を殺すために理性(頭)は働く。
生殺しに・・・
感情の行方知らず・・・
勝負の行方知らず・・・
問題は・・・
闘う理由だ。
頭を・・・胸を・・・
刺す理由だ。
おはようございます。2020年9月25日(金曜日)
それでは第百七十話の「はじまり」です。
今日のお話は「終わり」です。
文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・
今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!
今日という一日に「少し」の 勇気 を
そんな「前後の中」を
それではまた明日。