前後を切断せよ 満身の力をこめて・・・-未公開-

さ寒さも彼岸までと申しますが、暑さもおさまり涼しくなってまいりました。

※彼岸とは?

秋分の日(9月23日頃。その年により変動・春分の日・3月21日頃)その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。

というコトで・・・


日の一冊

「彼岸過迄」夏目漱石


1
風呂の後
大学を卒業して仕事に就けないでいる田川敬太郎の人物像が、同じ下宿の住人で、さまざまな仕事を遍歴した森本と比較して描かれる。
2
停留所
大学の友人の須永の叔父で実業家の田口に就職を頼む決意して、須永の家を訪ねると一人の女が家にはいるのを目撃する。須永から紹介された田口からはある時間に小川町の停車場に降りるある男の電車から降りてからの2時間以内の行動を調べて報告しろという依頼を受ける。敬太郎はそれを実行する。停車場には女が人を待っていて、調査の依頼がされた男はその女性と町を歩く。ミステリー的な風味を評価する解説もある。
3
「停留所」の種明かしの章で、田口から、調査した男への紹介状をもらって、敬太郎は男を訪問する。男は義兄の松本で、女は田口の娘の千代子であったことが明かされる。松本は働かないで、財産で高等遊民として暮らしている。このイタズラを通じて、敬太郎は田口の家に出入りすることができるようになった。
4
 雨の降る日 
前の章で松本が雨の日に面会をことわった理由として、雨の降る日に幼い娘が突然死んだ話とその葬儀の話である。漱石自身の五女・雛子が1歳で急死した時の気持ちを松本に託した章である。
5
 須永の話 
須永と千代子の恋愛の話である。この章では語り手が須永に変わる。須永の母親は千代子と須永の結婚を強く望み、千代子も須永に好意をよせているが、須永はそれから逃げようとする。「千代子が僕の所へ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、有るに任せて惜気もなく夫の上に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違ひない。・・・僕は今云つた通り、妻としての彼女の美くしい感情を、さう多量に受け入れる事の出来ない至つて燻ぶつた性質なのだが、よし焼石に水を濺いだ時の様に、それを悉く吸ひ込んだ所で、彼女の望み通りに利用する訳には到底も行かない。もし純粋な彼女の影響が僕の何処かに表はれるとすれば、それは幾何説明しても彼女には全く分らない所に、思ひも寄らぬ形となつて発現する丈である。万一彼女の眼に留まつても、彼女はそれをコスメチツクで塗り堅めた僕の頭や羽二重の足袋で包んだ僕の足よりも難有がらないだらう。要するに彼女から云へば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、次第々々に結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。」などの一節がある。
6
松本の話
松本が語り手となって、須永の千代子をさけようとする気持ちが、須永が母親の実の子供でなかったという出生の秘密にあったことが明かされる。松本は須永に意見して、須永は気持ちの整理のために、関西に一人で旅にでる。須永からの手紙がとどくようになり、内向から世間への関心をもつようになってきていることが示されて物語はおわる。

岸過迄(ひがんすぎまで)は、夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載され、同年に春陽堂から刊行された。

 

「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。『行人』『こゝろ』と続く、後期3部作の第1作である。 

 

出典 ウィキペディア(Wikipedia)
夏目漱石
前後を切断せよ
満身の力をこめて現在に働け。

の本は、六つの物語(短編小説)からなる長編小説です。

「彼岸過迄」は、後期三部作の一つで、残りの二つは「行人」「こころ」です。

元日から始めて彼岸すぎまでに書き終わる予定・・・で「彼岸過迄」です。

間の異常なる機関(からくり)が暗い闇夜に運転する有り様を、驚嘆の念を以て眺めていたい

間とは何か を追求した漱石が・・・

43歳(1910年/明治43年)の時に胃潰瘍で大量吐血・・・生死をさまよいました・・・

そして・・・愛する娘の死。

なぜ生きるのか・・・「生きる意味」・・・

人間観察が好きな漱石が「自身」に「何か」と・・・問うた・・・

そんなときに書いた本です。

の頭(ヘッド)は僕の胸(ハート)を抑える為に出来ていた。行動の結果から見て、甚しい悔を遺さない過去を顧みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸(ハート)が熱しかける度に、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、甚しい苦痛である。

(中略)

つの争いが起る度に、常に頭(ヘッド)の命令に屈従して来た僕は、或時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、或時は僕の胸(ハート)が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活の為の争いでありながら、人知れず、わが命を削る争いだという畏怖の念から解脱する事が出来なかった。

出典「彼岸過迄」より 夏目漱石

たちは

頭(ヘッド)と胸(ハート)の闘いの結果に・・・

「自分」を「見て」・・・「自身」を「見失う」

面白いので是非読んでみてください。

(胸)を殺すために(頭)は働く。

生殺しに・・・

感情の行方知らず・・・

勝負の行方知らず・・・

問題は・・・

闘う理由だ。

を・・・を・・・

刺す理由だ。


はようございます2020年9月25日(金曜日)
それでは第百七十話の「はじまり」です。

今日のお話は「終わり」です。

文章の所在が分からなくなったり、言葉では辿り着けないこともありますが・・・

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

今日という一日に少し」の 勇気 

そんな「前後の中

それではまた明日。

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